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温泉エリアの歴史

  • 公開日:2022-05-20

瑞穂温泉エリア

瑞穂温泉は1919年に日本人によって泉質が日本の有⾺温泉と同じであることが発見され、徐々に温泉の聖地として知られるようになっていきました。瑞穂温泉山荘はもともと警察の招待所で、「滴翠閣」と呼ばれており、警察の職員らが温泉に浸かり休憩する場所として利用されていました。また、花蓮八景の1つである「紅葉尋蹊」を称える言葉「山楓紅似醉、斜照乱平蕪、策杖村前路、秋容展画図」の中では、瑞穂温泉と紅葉温泉とその源である紅葉渓が織り成す素晴らしい景色、つまり当時日本人が温泉沿線の両脇に植えたクスノキの巨木が形成する涼やかな木陰とその優美な風景を描写されています。


安通温泉エリア

安通温泉は1904年に発見されました。山に入って樟脳を採取していた日本人が安通渓の畔で温泉の露頭を発見し、1930年に日本人によって警察の招待所が建設された際、そこに公共浴場が設置され、次第に温泉の名所として発展していきました。安通温泉旅館の前身は公共浴場で、日本統治時代は全てヒノキ材で建設され、畳が敷かれた日本式の平屋でした。現在は文化建設委員会によって歴史古跡に指定されています。花蓮八景の1つに数えられる「安通濯暖」を称える言葉に「捕蝨容談笑、温香入抱多、但令塵垢浄、晞髮向陽阿」という言葉があり、地元の住民たちが温泉に浸かる様子が生き生きと表現されています。